あれから僕たちは①

あれから5年、僕は何度でも同じことを書く。

でも大事な事だと思ってる。

あの日から数日後に、浜松、名古屋でライブをやった。

よくわからない気分で。

いつも通り過ごせる人はいつも通りに。

そんな言葉を頭に置いていてもなかなか難しかった。

5月に石田タカオとアコースティックギターをもって、福島のいわきにいった。


塊魂というイベントから繋がったみんなに会いたかった。
少しの友達と会えた。

あの時、いわきsonicで出演してくれたYouth26には感謝。

タカオ君と二人で海岸沿いを巡った。

海沿いの家は家の土台しかない。

写真を数枚撮ったが掲載しません。

みんなでバーベキューをやった砂浜の海岸は砂浜ではなく、堤防の直ぐしたが海になっていて石のような瓦礫のようなものがゴロゴロしていて景色が違った。

海の真ん前のお世話になったおばちゃんの本家は土台しかなかった。

おばちゃんは避難して無事だった。

顔が見れてよかった。

ひっくり返った車が散乱している海沿いに、LAWSONがあり、だが上の看板以外何もない。

アコースティックライブのあと友達の家に泊まっていろいろ話を聞かせてもらった。

暖かいものがなかなか食べられなかった中、最初にラーメン屋が再オープンして、食べたラーメンの美味しさの話。すごく美味しかったけど、復興してきてそのラーメンを食べるとなんでこれがそんなに美味しかったんだって話はある意味面白かった。

水がなくて、どぶの水を塞き止めて、トイレを流したりした話しも聞いた。

そんな話をしてる中、ガタガタと家が揺れ出す。

余震である。

慌てて外に出た。

でも、イワキのみんなは落ち着いていた。

「今のは震度5弱だね」

「そーだねっ」

口を揃えていう、間もなく地震速報が入る。

震源地だから緊急地震速報が揺れより後だった。

ただいまの地震は震度5弱

僕とタカオ君は目を丸くして

「なんでわかるの?」

と聞いたら地鳴りの大きさで大体わかるらしい。

ごぉーっていう、揺れる前の音。
続く余震の中、人間はいろんな事を学ぶ。

そして、沢山の話の後、寝る前に、多分○時ぐらいに震度3ぐらいの余震が来るからねー。

と言われた。

ジャストにぴったりの震度の余震が来た。

地震予報氏だ。

今でもイワキの友達とSNSで様子を伺ったり連絡とったりできて、生きててよかったなーって思う。

できれば近いうちに会えたらなといつも思う。

でも震災後、なにかどこか自分も被災地の友達も何か変わったと思う。

僕は英語で音楽をやる意味をあまり感じなくなった。

きっと被災地の友達は外にでるとき、または遠くに行くときに、考える事が増えたと思う。


みんなに手を降って、栃木へ向かった。

栃木も少しまだ重い雰囲気だった。

崖崩れやブロック塀が崩れていたり、屋根の瓦は所々剥がれ落ちていた。

何となくだが栃木、茨城、千葉辺りは被災地なのに、東北の被害と比べてか黙って我慢しているような雰囲気に感じた。

自分の祖母の家が昔、千葉の旭市にあって、津波の被害が何となく気になった。

栃木では現シャカ・ラビッツのベースのようすけくんが明るく楽しく音楽をしてくれて、これでいいんだって少し思った。
ありがたかった。

その数ヶ月後、バンドでいわきにいった。

続きは②で書きます。

②では被災者からの教訓を書きます。


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